世紀末亜細亜漂流
朝日新聞編集委員 松本逸也 著 / 四六判上製 451頁 /
税込2650円 /ISBN4 89007-081-8 C0036〔ご注文はこちら〕〔出版案内表紙へ戻る〕
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[松本 逸也のこの他の書籍 1 2 3 〕「二十世紀末が、まさかこんな混乱の状態に陥るなどとは誰が予測しえただろうか。しかし、混乱は別にマイナスではない。むしろ、安易にこのカオスを脱することがあってはいけない。そういう意味合いからすれば、かつて堂々とアジアの一員であった日本こそが、このカオス脱出の担い手になればいいと思うが、それは到底期待出来ない。
何故なら、もう日本はアジア人ではなくなってしまっているからだ。
世紀末の今、世界は大きく自信を失った。今までのすべての価値観が通用しなくなって来ているのに多くの人たちが気づいているが、どうしたらいいのか分からない。ただひたすら、時間軸を超えた遠い将来を見通すことの出来る哲学をもった人間の登場を待っているのである。
この一冊は、世紀末を意識しはじめた1980年ごろから現在まで、日本を含むアジア諸国を取材し、書き留めたものを振り返りながら、世紀末をいかに生きるか模索し続けた記録である。ひとつひとつのテーマから普遍化された何かを見つけられれば……。
私の漂流はまだまだ終わらない。」プロローグより
世紀末亜細亜漂流
もくじ
序プロローグ
世紀末アジアを生きる第一章 金満国ニッポンへの憧れと失望
1 「金の卵」と「外国人労働者」
「金」の卵たちは今
外国人労働者の悩み
2 外国人労働者が、仲間たちの本音をビデオに
失われた指
在留特別許可
仕送りと夢
若者に関心薄い「外国人労働者問題」
4 翼休めるフィリピン人出稼ぎ者たち
5 蝕まれるアジア人の心
花嫁の悩み
留学生に心の空洞化
難民もそうだが、外国人労働者もそうであるように、超法規的に日本に入り込んでしまった彼らこそが、かたくなで保守的な日本人に何かを植え付けてくれる絶好のチャンスではないだろうかと当初、私は大いに期待した。ペリーの黒船が空砲で幕府を脅かしたように、難民・外国人労働者の存在が、日本人の”意識改革(開国)”につながるのではと思ったのだが、なかなかそうは問屋も卸さなかった。
学ぶべき時に学ばなかったことが、いつの日にか必ず大きなツケになって返ってくるように思えて仕方がない。
第二章 アフガニスタン事件はソ連崩壊への序章
1 ソ連軍アフガンに侵攻
カイバル峠を目指せ
カブール入り
再びパキスタンへ
2 ソ連軍の撤退
維新前夜と今日のアフガン
戦火のアフガンへ
一見、平和
夜は戦場
暗闘の十年
撤退の日
どうなる難民の帰還
民族和解政策
3 ジャララバード攻防戦・内戦激化、再び難民流出
4 トライバルへの旅・麻薬と銃、危険な魅力漂う
5 クレヨンが描いた悲しき戦い
6 ムジャヒディン政権の樹立
第三章 中国・シルクロードを走る
1 砂漠の道は今
隊商の末裔
大陸への思い
敦煌保存
ブドウ谷
新疆時間
学際バス
2 民族の連鎖
怪我をして知った民族意識
民族大同団結反対
言葉の鎖
ウイグル族の結婚式
苛酷な自然
3 日本への糸道
例えば国境の向う側の少数民族の、キルギス語がしゃべれるミスター・カザフや、ドスタン青年のように、隣の民族の言葉を話せるのが、このあたりでは普通のようだ。(中略)
長安(現・西安)からローマへ通じるシルクロードは、こうして隣の民族に、耳から耳へ、文字から文字へ、言葉の長い長い鎖となって通じている。
だが、残念なことにシルクロードの終着駅「日本」は、海という厄介な代物によって、その「言葉の鎖」がちぎられてしまったように思う。
第四章 今こそ少数民族
1 妖怪漂う黄金の三角地帯
少数民族の村
国境の橋
三角地帯
2 山岳少数民族の村は今(中国・タイ)
3 緑に追われるタイの山岳少数民族
木を植える男
観光による農村開発
4 ミャンマー民主化闘争
5 素朴な歌に恋心をこめて
6 生き残ったカンボジアのチャム族
7 モン族の留学生スリヤ
鹿児島留学
モン族とは?
スキンシップ
スリヤの結婚
8 モン・イン・アメリカ
第五章 タイ国境地帯を行く
1 タイのテレビに僕が
2 写真ルポ・四つの国境
3 日・タイ百周年・架け橋になった日本人
4 走れ、走れ、目指すは浅尾さんの顔
5 タイの子供村に生きる日本人
仮に「白い国」にしよう。隣接する国が、「赤い国」であったとしたら、その接する部分は、間違いなくピンクだ。二十世紀末を揺らし続けたインドシナ半島にあって、老獪な外交手腕が光ったタイ。そのタイを取り囲む四つの国境を巡った時の印象である。
第六章 復興インドシナを歩く
1 ベトナムで考えたこと
2 ベトナム難民の里帰り
3 ベトナム縦断
手書きでどうぞ
一党独裁路線の堅持
流浪の王
ベトナム人の中国観
中国人のベトナム観
中越国境ゼロメートル地帯を行く
青年突撃隊
農村合作社の村
ホーおじさんの故郷
ベンハイ川を越えて
Uターンしたボートピープル
異郷に眠る日本人
4 あるラオス民族の帰郷
望郷
一つのラオス
可能性
まず教育
UFO
5 復興は、まず寺院から
6 サク越しに悲しい笑み・カンボジア難民
7 ふたつの撤退・カンボジアとアフガンの間
勲章の効果
笑いを忘れた主人公
新たな戦い
8 活気蘇るタイ・カンボジア国境貿易
9 カンボジア和平・国連主導の国造り
中心街から北東に少しはずれた田んぼの中に、目指すその墓はあった。
「顕考弥次郎兵衛谷公之墓」。正保四年(一六四七年)の建立というから、今から三百五十年ほど前になる。一七世紀に当地で没した日本人の墓が、他に三つ現存する。当時のホイヤンにはニ、三百人の日本人がいたといわれる。そこでは、中国、シャム、マレー、ビルマ、オランダ、ポルトガルからの商人を相手に、陶磁器、絹、茶、硝石、鉛、武器などが取引されていた。
しかし、徳川幕府の鎖国令(一六三六年)によって、彼らは祖国に帰るチャンスを逸した。そして、後続が断たれ、徐々にアジア人の中に飲み込まれて行ったのである。
第七章 私のニッポン
1 台湾元日本兵たちの戦後
皇軍兵士
三つの名前・三つの宗教
霧社の風
戦後補償
2 戦後の家族史を綴る台湾の日本混血児
大概の原住民は、現在の中国名、日本時代の日本名、原住民の名と名前を三つ持っている。通常は日本名で呼び合うことが多いという。(中略)
奥さんのことも「おかあさん」と呼ぶ。夫婦間の会話はすべて日本語である。
ここでついてに触れておくが、彼らは名前と同様、その時代、時代の権力者に合わせて宗教もその度に変えさせられて来た。今までに三つの神様を拝んで来たことになる。一つは古来からの原住民の精霊信仰、二つ目は日本時代の神道、三つ目は国民党政府になってからのキリスト教といった具合である。
第八章 昭和天皇の「死」
1 Xデー、その時私は
2 私の皇居番日記
3 平成のはじまり
御大喪の礼
ひばりの死
第九章 ボートピープルといわれて
1 止まり木ニッポン
空白を埋めるアルバムづくり
キッカケつくった
二人の難民
別れの朝
かかわりの決意
”現代の黒船”
2 ゴ・タン・ロイ君からの手紙
3 バターン難民収容所を見る
4 実らなかった"瀬戸の恋"
5 タイの無人島にベトナム難民
6 香港難民事情
7 病める定住難民
難民精神障害
大海の一滴
異文化外来
難民化
山形大学の桑山紀彦医師(精神神経科)はこの状況について「定住先が都会ならばともかく雪の多い福島、新潟などにたった一人、二人とは……。彼らが望んだとはいえ、精神科医の立場からみたらとても危ない状態。職場の人間関係がよくないと大変だ。これでは彼らはただ飲み込まれるだけ。同化を迫られているとしかいいようがない」という。精神障害にかかり易い条件に「金がなく、その国についての知識のない、若い男の単身者」というデータがあるそうだ。
第十章 地図から消えた村
1 地図から消えた村
2 湖底に沈む村からの便り
3 せめて水没までは
エピローグ
あとがき
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