アラブ発
仕組まれた湾岸戦争
朝日新聞編集委員 松本 逸也 著 / 四六判並製 274頁 /
税込1631円/ ISBN4 89007-070-2 C0031〔ご注文はこちら〕 〔出版案内表紙へ戻る〕
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[松本 逸也のこの他の書籍 1 2 3〕「<戦争に「大義」も「正義」もない。どちらにしてもそれは、それぞれの利益を守る「口実」にすぎないのだ>という著者が見た事実、肌で感じた実感は、戦勝パレードに酔う米国民と自衛隊海外派遣に奔走する日本政府にこそ届かなくてはなるまい。」
「出版ニュース」「中東通の筆者が、複雑な中東情勢を、毎日の生活の中に分かりやすく織りまぜ、取材する側から見た湾岸戦争が生々しく再現される。」
「週刊朝日」「湾岸戦争はアメリカ軍(あえて多国籍軍とは言うまい)の圧倒的な勝利に終わった。三月一七日、サウジアラビアからの帰国将兵歓迎集会に出席したブッシュ大統領は「これでベトナムの悪夢から米国民を解放した」と宣言した。
米国民に長くのしかかっていたベトナム症候群は、これで打ち砕かれたというのである。米国民をこの一言で元気づけられると思ったのだろうか。ブッシュのこの言葉を聞きながら、私はシラケ切ってしまった。
クウェート侵攻を途中からパレスチナ問題にリンケージ(連関)して「アラブの大義」としたサダム、国連を我物顔に利用して「正義の多国籍軍」なるものを作ったブッシュ。
しかし、戦争に「大義」も「正義」もない。どちらにしてもそれは、それぞれの利益を守る「口実」にすぎないのだ。」
あとがき よりイラクによるクウェート侵攻の約2ヶ月後、現地入りした新聞記者による体験記。新聞、テレビでは伝わらなかった湾岸戦争の本質が、著者の半年間にわたる滞在をつづった日記から蘇る。
検索語:湾岸戦争国際政治.安全保障.自衛隊.海外派遣.中東問題.アラブ.アメリカ.イラク.パレスチナ.イスラエル.クウェート
アラブ発 仕組まれた湾岸戦争
もくじ
危機勃発
アンマンへ
ラジオ・ジャパン
パレスチナ人大集合
エルサレムへ
クウェートは収奪の限り
経済制裁
「日本人の解放はない」とサダム
イラン・イラク蜜月
サダムの誤算
仏人人質全員解放
自衛隊の海外派兵問題
海部総理がヨルダンでしたことは、ただアメリカ追従の発言だった。イラクのラマダン第一副首相という大物に会っていながら、何ひとつまともな日本外交を展開しなかった。想定問答をいっぱい用意しての会談だった。そのお陰で、イラクの邦人人質たちはいまだに解放のメドがたっていない。
更に、熱病にうなされたように日本も自衛隊を派遣すべきだという単純な声がどれほどまでに人質たちの気持ちをいらだたせたことだろうか。(1990,10,25)ヨルダン川西岸事情
フセイン・グッズ
念願のバクダット行き
イラク人家庭訪問
闇ディナール
人質情報
ソフトボール大会
中曽根デリゲーション
邦人人質の解放
サダム讃歌
バクダットからアンマンへ
ヨルダン原理主義の風
ガラガラのアラブ3P
「アラブ人は平気で嘘を言う」
大歓迎のサッチャー辞任
待望のスキヤキ
ユダヤの町テルアビブへ
アントニオ猪木の人質解放
猪木自身にしても果たしてどこまでやれるものかといぶかっていたように見えた。が、ともかく人質の家族を伴って、バクダッドへ赴き、平和の祭典を行ない、人質を連れて日本へ帰れるようにしてしまった。政府の助力があったわけでもなく、自らが一人で三回もバグダッドに渡りここまでやってしまったのだ。イラクの人はこうした苦労に対する礼儀をわきまえている。猪木のこうした行動がイラク側にとってみれば何か一生懸命に訴えるものがあったようにみえただろう。(1990,11,30)
二度目のバクダッド行き
「もしもし亀よ」イライラの電話待ち
「裸の王様」
バビロンの風
チグリスのマスグーフ
サマラへ
在留邦人、人質全員解放へ
天国と地獄
正月休暇
開戦から終戦へ
デッドライン
ギリギリのバクダッド脱出
開戦
イスラエルにスカッド・ミサイル
イスラエル参戦か!
「戦争万歳」パレスチナ難民
米女性のハンスト
イラク国境へ
イラクから避難民の群れ
「化け物を造ったのは誰だ」
そもそも、イラクがアラブの軍事大国になったのは、イラン・イラク戦争に起因するところが多い。ホメイニによる「イスラム革命の輸出」を危惧してイ・イ戦争を起こしたサダムは開戦当初「三日で終わる」と豪語したが八年もかかった。その原因は、まだ東西の冷戦構造が存在していた時期に、米を初め、中、ソ、仏、英など約三十数カ国がイ・イ両国に武器を売りまくったからに他ならない。なかには、仏のように両国にまたがって武器を売った例が何カ国もあった。(1991,1,25) 避難民たち 雪のアカバ行
写真詐欺師登場
ペルシャ湾に「黒い雨」
イラク・シリア国境では
バクダッドからの手紙
ロウソク暮らしのバクダッド
自衛隊機派遣「条件付き了承」?
化学兵器は使われたのか?
バクダッド入りを狙って
確信犯ブッシュ
私は、実はブッシュは反対にサダムというもっとも典型的なアラブ人のことを熟知していたと思っている。つまり、サダムがどう考えているか、次はどう出るかぐらいは完璧に理解していた。ブッシュは確信犯である。デッドラインから一九時間という短時間に戦争を開始したのは、やりたくて仕方なかったからだ。あと数日待つというのが我々周辺のジャーナリストの考え方だったが、即座に戦争というのは、あと数日待つと下手をするとサダムは「クウェートから撤退してしまう」かもしれなかった。(1991,2,10)
イラク学徒動員
シェルターへミサイル
サダムの撤退用意発言
イラン側から戦火のバクダッドへ
イスラエルからの妨害電波
トンボ返りのアジズ外相
外されたパレスチナ問題
地上戦突入
殴られたカメラマン
厚い「ビザの壁」サウジ
クウェート解放
終戦
油田炎上
イラクで反政府暴動
敗戦国イラクへ
・・・陸路バグダッドに向かう途中、食料をせがむ民衆の様子だった。その中に印象的な言葉があった。それは、「戦争は金持ちをもっと金持ちに、貧乏人をもっと貧乏にした」という言葉だった。パンにありつけなかった若者が吐いた言葉だと、岡本はその記事の中で語っている。(1991,3,5) 帰国
あとがき