幕末漂流
朝日新聞編集委員 松本 逸也 著 / 四六判上製 356頁 /
税込2243円 / ISBN4 89007-077-X C0095〔ご注文はこちら〕〔出版案内表紙へ戻る〕
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[松本 逸也のこの他の書籍 1 2 3〕「・・・死蔵されていた写真の中に歴史家をも驚かすような史料性の高いものや今では見られない風俗などを見出しつつ、日本近代化の原点を幕末古写真を通して検証していく。」 「歴史と旅」
「百年以上も前に時が静止した古写真と、それに魅せられて、過去を漂流しながら、現代に解決の糸口を見出そうと、精力的に取材する筆者の姿。この対比が、とてもいい。」 「歴史群像」
「遣欧使節団のポートレートや出陣前の武士の写真、地方の風景写真など、新聞に寄せられた古写真や、オランダのライデン大学が新たに発表した『幕末日本』を写した貴重な一枚一枚を見ると、当時の人々の息遣いがリアルに伝わってくる。」 「歴史読本」
「幕末とは、新しい文明の登場による、政治、社会はもとより、生活、文化などあらゆる面での変革の時である。
それは幼虫が殻を破って成虫に脱皮するように、古い文化を否定することでもあった。
二百年間の鎖国という信じられないほど長かった、堅い鎖がほころび、堰を切ったように流れ込む西洋文明。それは今までの価値観が、根底からひっくり返される大事件でもあった。
不思議なことに、幕末時代の写真一枚一枚からそういった気分が伝わってくるのだ。」プロローグより
80点以上の古写真とともに、日本史上最も熱かった時代、「幕末」が蘇る!
検索語:幕末,写真,日本,近代史,風俗史,文化史,明治維新,写真師,資料
幕末漂流 もくじ
プロローグ 幕末漂流
想像力こそ創造力
もし、幕末に写真がなかったら
「古い写真」の読みかた
記録と表現
第一章 幕末写真の発掘とブーム
日本の武士たちが写真を撮りにくるようになるのは、生麦事件(一八六ニ年)以降だそうだ。日本の武士たちがこぞって、自分の死を覚悟しカメラの前に立ったのである。こうした考え方は、後の西南戦争、日清、日露という戦争のたびに自分を記録しておこうという「出征写真」として、はっきりと定着していくようになる。 発掘は今だ
週末の1本の電話
「七十年前の香港くっきり」
ニ匹目のドジョウ
爆発的な反響
冷や汗
甘味な幕末写真
幕末は写真とともに
写真の誕生
第二章 甦った顔・顔・顔
激動の幕末から維新にかけての薩摩藩最期の藩主・島津忠義(一八四〇 ― 一八九七)は、無類のカメラ好きで知られた。維新の時、二十七歳の男盛りだったが、後見と称してすべてを取り仕切る父・久光の影にあって悶々(もんもん)の日々を送った彼には、写真機を持っての各地探訪が最大の憂さ晴らしだったのかもしれない。
激動の幕末を生きる
幕末を生きた顔
第一次遣欧使節の片エクボ
遣米使節に緊張感
フルベッキとアメリカ宗教界の戦術
民間人の渡航第一号
変革期の息吹
スフィンクスの前に立ったサムライたち
遣露使節の前に現れた謎の男
ニューヨークのサムライたち
ブルードウェーの街角に立つ
薩摩と琉球王国
殿様カメラマン
「忘れられた王国」
政商グラバーの写真コレクション
「倉場写真帖」
”死の商人”グラバーと洋銀相場
グラバーと倒幕派
息子・倉場富三郎の死
土にまみれ刀をクワに
朝敵の汚名を背に
最後の将軍が写した光景
二枚の写真にこめられた心情
「幕末の江戸」
暗黒の大都会
江戸散策
テロの臭い
第三章 相次ぐ幕末写真の発見
明治二十年から三十年にかけて、横浜居留地を中心に爆発的に売れた「蒔絵アルバム」が、今、続々、日本に里帰りしている。これは、当時、日本を訪問する外国人が、異国情緒たっぷりのこのアルバムを土産として持ちかえったものを、今度は、現代の日本人が、海外に旅をして、パリやロンドンの蚤の市などでアルバムを見付け、買い戻すといったことによる。
幕末のパリに謎の日本人
銀板写真
世界最古の銀板写真と対面
絵に近い写真
幕末・明治のアルバム里帰り
「蒔絵アルバム」
海を渡った二女性
頑丈そうな手
都内で「銀板写真」発見
たったの一二枚
第四章 オランダに眠っていたニッポン
この八百枚の幕末日本の写真は、私達現代人に色々なことを語ってくれる。日本は、実は、緑多き農業国家だったこと、長崎と江戸の大都会ぶり、攘夷(じょうい)の嵐のなかで、外人を殺害して処刑された浪人の首からはテロの横行ぶりを。思ったより年老いた感じの米公使タウンゼント・ハリス、あばた面の侍からは、天然痘が流行していたことを……。 ライデンからのお誘い
詰まっていた幕末日本の姿
写真が歴史になった
長崎・出島の医官らが収集
絵に代わり日本を伝える
横浜・函館・長崎の三ルート
東西で二人の写真師誕生
戦争・盗難・火事をくぐって
心まで読む写真
百三十年前の姿生き生きと
ヒュ―スケン暗殺で何が変わったか
第五章 脈々と続く血の流れ
外国人写真師から吸収できるだけ吸収し、彼らを凌駕するほどに成長していこうとする、この上昇思考の精神構造こそが、現代の経済大国日本を作ってきたのではないか。初め、写真が商売になるほどものとは、ほとんどのものが思っていなかった。ところが、日本人ではなく、日本を訪れる外国人にとってみれば、異国情緒豊かな写真ほど故郷への土産として恰好のものはない。
現れた商館長の末裔
ドンケル・クルチウスのこと
西郷写真とドイツ人軍事顧問
西郷写真の謎
ベアトの弟子・日下部金兵衛の孫
初の写真事業家
西南戦争で戦死していた写真の主
「いざ出陣」
生きていた会津娘子隊の姉妹
中野竹子の戦い
第六章 写真師ベアトの魅力
恐らく日本行きを思い立ったベアトは、明治維新を前に諸外国との間の紛争、内乱のにおいを感じとっていたに違いない。植民地化されたインド、清国と同様、英国を背景とする列強とともに、彼は日本の土を踏んだのである。 謎の写真師ベアト
AかFか
来日
カメラの騎士
スフィンクスと侍
下関砲台占拠
ボーリング好き
徳川将軍をパチリ
外交問題
建売住宅
いずこへ
ベアトの正体
ベアトは二人いた
冒険野郎と芸術家
スフィンクス写真の謎
ビルマの土に?
ベアトが見た「幕末のアジア」
急造の町ー横浜
時代背景
東方への旅
インドへ
中国へ
朝鮮へ
生麦事件の現場は今
テロの現場を歩く
ベアト写真の検証
第七章 貴族写真師― スティルフリード
一八七三年、ウィーンで開かれた万国博覧会には、スティルフリードの提案で日本から送られた茶屋が人気を博し、見本市会場には彼自身が日本から連れて来た芸者も繰り出した。ところが、そうしたスティルフリードの行為に対し、周辺から「男爵ともあろう者が……」とひんしゅくを買ってしまう。 ほら吹き男爵
末裔と対面
生い立ち・来日
明治天皇盗み撮り
ひんしゅく者
日本人妻子のその後
宮廷絵師
ウィーンに眠る
墓前にて
消え行くニッポンの血
エピローグ ウィーンからベネチアへ
スティルフリードとベアドの友情
二人の足跡を訪れてあとがき
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