証言・日本人の過ち
ハンセン病を生きて
森元美代治・美恵子は語る

藤田 真一 編著 / 四六判上製 416頁 /
税込2243円 / ISBN4-89007-095-8 C0036 

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「夫婦の話が『証言・日本人の過ち─ハンセン病を生きて』として出版された。名前を出すことに、不安や戸惑いはあった。なにより『家族にどんな影響が及ぶか心配』だった。それでも、『私も美恵子も、差別に対する恐怖心を乗り越え、兄弟や家族もそれを乗り越えてはじめて、本当の意味の人間復帰、人権回復ができる』と考えたという。」
     「朝日新聞」 
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「この本のねらいは、ハンセン病患者に対して、わたしたち日本人の国家・社会が、いつごろからどのような過ちを重ねてきたのか、事実ありのままを,患者さん自身の「実名証言」によって、検証しなおしてみることです。

こんな主題をどうして思いついたかというと、日本の社会もようやく、本病の患者さんたちが実名でものが言える方向へ、変わり始めてきたからです。(中略)

でも、まだ、いちばん肝心の変化が起こっていません。というのは、国民の圧倒的大多数が、らい予防法によって、本病の患者・家族をどんなに苦しめてきたのか、いまだに、ほとんど何も知らない状況からです。何を、どのように間違ったのか、その急所がよくわかりません。そこで遅ればせながら、問題の原点にたちかえって、被害者本人(患者)から、実名証言を聞かせていただいたのです。」
この本のねらいについて より

検索語:ハンセン病.資料.ハンセン氏病.らい予防法.医療問題.人権問題.差別.体験談.記録.医学.病院.医療.医師.現場.ハンセン病療養所.隔離.収容.厚生省

 

証言・日本人の過ち ハンセン病を生きて─森元美代治・美恵子は語る 

もくじ

はじめに
この本のねらいについて
らい予防法の廃止に関する法律(抜粋)
らい予防法、第一章・総則(旧法)
ハンセン病についての正しい常識七カ条
森元美代治 闘病の歩み
森元美恵子 闘病の歩み

第一章 なぜ実名で記録を遺す気になったか
    同じ過ちをくり返さないために
    病気をひた隠しに隠してきたけれど
    奈良県で初めて実名で講演
    差別した側だけが謝ってもだめ
    母が死んでも帰郷できず
    東京で同郷者の会合に出席できた
    両親の墓石を抱いて男泣き
    ◆参考資料1・2・3・4・5・6

第二章 森元夫妻は「患者」か「治癒者」か
    占領下、アメリカ方式の治療を受ける
    一段と進歩した美恵子さんの治療法
    ハンセン病専門医、全国にたった十数人
    ◆参考資料7

第三章 森元美代治は語る
      チバリヨ・ミヨジ!(負けんじゃねえぞ、美代治!)
  
喜界島で中学生のときに発病
    開業医二人は梅毒と誤診
    「鬼みたいな顔!」と友人から言われた
    奄美和光園で治療を受け始める
    「プロミン」の効果てきめんだったが……
    患者のための高校が新設される
    あこがれの高校生活……その現実は
    教師は生徒を「病原体」扱いした
    生徒の目の前で消毒する教師たち
    「病気は必ず治る」と伯父から激励
    ◆参考資料8・9・10・11・12・13

・・・大半の人は、「患者のくせに、勉強なんかしたって、どうなるものでもないだろうに」と思っていたでしょう。事実、「お前、大臣か、博士になるのか」なんて、面と向かって言われたこともありました。

内心、ものすごくくやしかったけれど、そういうときはいつも、
「チバリヨ、ミヨジ!」と、自分に言い聞かせていました。
(「医師も職員も大学進学を喜ばず」)


    大学進学のため東京転園を希望
    東京の寮で深夜まで受験勉強
    無許可外出で予備校へ通う
    医師も職員も大学進学を喜ばず
    早稲田大学志望から慶応大学に変更
    大学 職場での病気のチェック
    少年時代、カトリックの洗礼を受ける
    帰省して村の子どもたちに恩返し
    弁護士をあきらめ「不良債権」専攻
    東京の信用金庫に勤めたけれど
    病気再発、DDS服用でがんばる
    「多発性神経症」の診断書提出
    人事部次長に真実を告白
    再入園して出会った外国人の娘たち
    英語・日本語を教え合う仲から恋仲へ
    病状深刻化の日々のなか交際を続ける
    森元家は患者同士の結婚に大反対
    右眼を四回手術 ―ついに失明
    入園者の男女の比率は三対一
    ◆参考資料14・15・16・17

第四章 森元美恵子は語る
      スムア・ビサ・ジャディ Semua bisa jadi (やれば、なんでも、できる)

    インドネシア第一陣留学生として来日
    東京で美容師の勉強を始める
    痛さを訴える話し相手がいない
    本当の病名は説明されず
    「レプラ」と告知されてビックリ
    同じ病室の患者がこわかった
    名前を変えられ、電話もかけられず
    「ミックは精神病」と友人たちは告げられた
    日本人軍属の子として生まれる
    母・エフィーの証言 
      日本人との結婚でいじめられる
      子どもの名前は封筒の中
      カヌーに乗って夫に会いに
      「ミエコ」を抱いて夫は泣いた
      収容所検問で捕まりムチ打ち刑
      大地主の親戚に救われる
      子どもを連れて日本行きを決意
      父と祖母は賛成、母と祖父は反対
      「日本へ行くなら戸籍から消す」
      違法な出国は銃殺と脅される
      鍋を埋めた穴は空っぽ

    母の再婚
    義理の父にいじめられる
    そして離婚
    「日本人の子」だと危険だった
    NHK・テレビで「おれを探している!」
    実の父と羽田で再会
    やさしかった高知の家族
    患者同士で助け合う
    夫・美代治との出会いは
    日本人の嫁になったら死んじゃう
    成田稔先生に救われ後遺症なし
    精神薬で全身ぐにゃぐにゃ
    「こんなことで死ぬものか!」
    隣家の物音が聞こえる夫婦寮
    断種手術は強制されなかった
    外国人登録証でひどいめに遭う
    実名を明らかにした事情
    美代治が室戸の父に結婚を報告
    日本に帰化するのがいまの願い
    ◆参考資料18・19・20・21

第五章 マザー・テレサとインド・ネパールの患者を訪ねて
    患者の自主的援助でマザー訪問実現
    一人三百円献金から支援を始める
    「いま世界中で愛が欠けています」
    小さな体・大きな足・やさしい眼
    ネパールの患者に盲人はいなかった
    「高額な特効薬は治療に使えない」
    年間四十五万人もの新患者登録
    インドの患者は自由に子どもを産んでいる
    日本の断種・中絶強制はやはり間違い
    ◆参考資料22・23

第六章 菅直人厚生大臣の謝罪と慰霊
    よき理解者・菅厚生大臣
    菅さんだから実現した国の謝罪
    「森元さん、一緒にがんばろう!」
    十年前から患者と握手・同席食事
    ◆参考資料24

第七章 「らい予防法」廃止の大恩人 ━ 大谷藤郎先生
    

元気な患者に強制労働させて、自給自足的な運営の中で、看護婦の仕事も、ときには医者の仕事も、患者にやらせました。

外科の医者がいないから、患者が適当に塗り薬をつけたり、包帯を巻いたり、外科的な手当をしたり、それが事実なんです。

食事をつくるのも、運ぶのも、食べたものを洗うのも、すべて患者がします。不自由舎の付き添い看護から、木工、給食、火葬、園内の子どもの教育など、それらも全部、患者作業でやってきました。

これが、われわれをして、強制収容所と言わしめる、ひとつの大きな根拠です。
(「刑務所の服役囚以下だった療養所の患者処遇」)

    刑務所の服役囚以下だった療養所の患者処遇
    職員不足を患者の作業で常時補う
    二階堂進先生が障害年金支給に尽力
    「らい予防法」廃止はなぜ遅れたか
    全患協に強かった予防法「全廃後」の不安
    ◆参考資料25・26

第八章 国民の皆さんにぜひ聞いてほしいこと

・・・しかし、その甥たちは、だれ一人、この病気にならなかった。そういう事実を私は知っている。だから、世間で言われているほど、うつらないし、こわい病気じゃないんだ、と。

それは、当時の医者もわかっていたはずなのに、法律でがんじがらめにして、患者を完全に隔離して、人生をめちゃくちゃにされた。こういうことは、国民として、何がまずかったのか。それを皆さん、考えてほしい。

それは、科学的な眼を持たなかった、ということなんだ。人のうわさだけで物事を判断する、これがいちばんいけないことなんだ。(「本病のいじめは実に惨めだった」)


    自らの過ちを反省しない療養所の医師たち
    医療が的確なら視力を失わずに……
    北田謙治先生の親切を忘れません
    ひどい医師も優しい医師もいた
    光田健輔に診療で睾丸を握られたとき
    光田先生の銅像が壊されたあと
    全人格を疑わせる光田園長の国会参考人証言
    「科学の眼」で正しく見てほしい
    本病のいじめは実に惨めだった
    中学生が差別反省の作文を書く
    地域住民が花見にやってくる時代
    ◆参考資料27・28・29・30・31・32・33

むすびに
    実名で生きる日がきた 森元美代治・美恵子
    報道記者としての私の過ち 藤田 真一
    私の「偏見卒業」元年 ―森元夫妻と出会って 八重樫絢子

・参考にした図書ならびに資料
・全国のハンセン病療養所 
・ハンセン病関係の施設と団体 
・日本のハンセン病患者数 
・日本におけるハンセン病の現況 
・ハンセン病克服の日本と世界の歩み 

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「『予防法』の名のもとに、危険な伝染病として、国家権力によって隔離、拘束され、医療のミスも治外法権的に許されたり、社会に出たときいじめに遭い、買い物を拒否されたりといった『証言』には、思わず息を飲む。その上、関係者たちの国会発言や雑誌の論文、新聞記事など、数多くの参考資料が駆使されていることも本書の特徴であり、説得力を加えている。」
    ジャーナリスト外村民彦  「キリスト新聞」

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