ターミナルケア死生観関連書籍

先生はウソを言った,ターミナルケア関係書籍の表紙写真

「先生はウソを言った」ガン告知の現場から 

国立西埼玉中央病院外科医長 松岡寿夫  著 / 新書版上製 222頁 /
税込1427円 / ISBN4 89007-084-2 C0036 

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  「『私の心を錐のように突き刺した言葉がある。──先生はウソを言った。私が診た三人の女性の末期ガン患者が、最後に浴びせかけるように言い残していった言葉である。』
   この本の冒頭のくだりである。(中略)現在、ターミナルケアをリードする立場の著者であるが、以前、診断や病状、予後を含めウソをつきながらかかわってきた過程を赤裸々に述べている。患者に責められながらも、患者の側に立ち、ある時は友人として、ある時は家族のように温かく患者、家族に接している著者の姿が浮かびあがってくる。」
  
評者 高宮有介 昭和大学病院外科 緩和ケアチーム  
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検索語:外科医,終末期医療,終末期看護,インフォームドコンセント,ターミナルケア,緩和ケア,パリアティブケア,告知,がん,ガン,癌,末期

 

「先生はウソを言った」ガン告知の現場から 

もくじ

プロローグ


「先生はウソを言った」

  目の前のベッドに、苦しみ、話を聞いてもらいたがっている病者がいる。われわれ医療者は”心と時間”を病者に与えることができる。そして病者はわれわれを心の世界に招き入れ、われわれに何かを学びとらせる。
  患者にどれほどのケアを与えられるかは、究極的にはわれわれ医師や看護婦が、人間としてどれほどの人か、ということにかかわると私は信じている。
  それが、これからの医療を良くする鍵なのだと思う。


アイバンク……「人口肛門は必要だったのか」 
    苦しくても挨拶を忘れない人
    人工肛門の存在に悩む
    「このおなかが小さくなれば……」
    生きざまが死にざまだ
    形だけのセレモニーはしたくない

突然死……「申し訳ない、申し訳ない」
    「救急車も間に合わなかった」
    故郷の言葉で語りあう
    子どものために頑張らなくては
    医者たるものが、と言われても

プレドニン……「きれいな顔で死なせて」
    コスモスのような人
    ウソをつかないで
    つらいコミュニケーション
    子どもたちを残して
    闘病の中で育まれた愛


スポーツドリンク……「君のお母さんはガンです」
    ウソをつく罪悪感
    あと六ヶ月の命
    枕頭台の上の瓶
    母と子の深いつながり
    父親の勇気と判断力

日本海の落陽……「病院の職員は信用できない」
    痛みとの戦い
    医療者よりも家族の愛
    荘厳の落陽

企業戦士……「病院に行きたがらないのです」

最近、臨床の場では、早期ガンの人に、五年生存率と一緒に病名を告知するケースが増えてきた。ある人が「隠された勇気を引き出す」と言っているが、よい人間関係が保たれ、ケアさえ十分にできれば告知しても良いのではないかと思う。他の病気と比べてみても、ガンは死病ではなく、治る時代になったというのは言い過ぎだろうか。見えすいたウソは信頼関係をぶちこわしてしまう。

    夫人の心に生き続ける
    病院を嫌っていたのか
    不吉な予感
    やはり再発だった
    目を向けられるべき大量死の問題
    医療行為で病気がわかる時代
    札幌、霧雨、レインコート

柿の実……「赤い水を飲むともう駄目だ」 
    病気は自分の責任とはいうが
    食道・噴門ガンだった
    赤い水を飲む者の運命は
    自然の中に帰っていかれた老人
    自宅療養に切り替えて
    苦痛の大きさと私の決断
    苦痛からの解放
    最期のラブレターと色鮮やかな柿の実

最後の茶会……「とっておきの薬をあげましょう」 
    最後の旅行に行かせてあげたい
    効かなかったプレドニン
    術後診察――回腸部ガン
    プレゼントした八代象嵌茶碗
    お茶に関するにがい思い出
    焼き物に反映される使う人の心
    避けられなかった再発
    最後の茶会

ペーパーフラワー……「女でなくなってしまうのですね」

女性にとって乳ガンとはなんだろうかと考える。女性であるがために社会では男性から差別され、そして今度はガンによって差別を受ける。手術で乳房、卵巣をとり、女性であることのアイデンティティを喪失する。ある人は心理的葛藤に破れ、精神障害に陥る。女性であるがために、ガンになっても大きな社会的後遺症を背負わねばならない。乳ガンのため乳房切断術を受けた多くの女性たちを見るにつけ、私はこのことを強く感じた。

    カルテの重み
    手術後に残った一抹の不安
    独特のものがある患者心理
    再入院
    いわば戦友だった
    病名をはっきり知って
    洗面台のペーパーフラワー
    「先生はウソを言った」

ふきのとう……「注射は打てない、わかってください」
    乳児の顔
    安楽死を望んだが
    母を見出していたのかもしれない
    ”フラダンス”
    残り少ない自然を運んでくれた
    私はせっせとチーズを届けた
    偽善の風呂敷

病理解剖……「お母さんを苦しめたガンを見せて」

また、私はこのように考えたりする。ガン末期のガマ蛙の鳴くような腹鳴や、休みなく続く焼けつくような腹痛、背痛、腰痛。これらの原因である灰白色のガン組織が、病理解剖によりとり除かれ、ガンと関係のない身体となるので、亡くなられた患者さんもその解放の喜びを無言のうちに表現されているのかもしれないと。また家族も、病気をとり去ることで悲しみのなかに小さな満足を得るのかもしれないと。

    解剖後の穏やかな顔
    ステージW、デュークスCの進行回腸部ガンだった
    敗北感とせつなさ
    苦痛をやわらげるもの
    医療者は患者さんの死の舞台を助ける黒子
    麻薬を使っても痛みをとり去ることはできなかった
    いつもはやらない心のマッサージ
    ”ガン”を見せることの意味

木曜日……「父には黙っていてください」
    残りの乳房も失った
    父には再発を知らせないで
    夫婦でガンと闘う
    ガンの発見
    長く重たかった木曜日


祈り……「自分のことは自分で決める」
    祈りは人間であることの証明
    姑息的手術しかできない
    退院が決まった
    信仰でガンと闘う
    祈りと愛のなかの死

タバコ……「すべてを知っていますから」
    医長室のカセットテープ
    奥さんに渡った患者さんのテープ
    進行していたガン病巣
    両杯に転移か
    『気持ちの整理はついています』
    『先生、すべてを知っていますから』
    ”強い注射”を望む
    ”死”を超えた死



病は誰のもの

あとがきにかえて――一九九五年、今

医療の中で患者は弱者、医療者は強者のようにふるまう。そして、患者の人権は無視され、一方的に医療者の価値観が患者に押しつけられる。医療が宗教のようになり、患者の個別性は消えてしまう。
患者の尊厳、人間としての存在はどこにいってしまうのだろうか。人間は自由である。病のなかにあっても、自分でものを考え、自分でものごとを決める権利がある。

 

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「本書は、外科医としてガン患者と正面から向き合い、告知や治療に悩みながら実践してきた、迫力あるガン告知の現場からのレポートです。他の本にない迫力とは、非常に詳しく治療、手術の経過、薬品の投与等、まさに外科医ならではの手法によって、克明に書かれていることです。それが『怖い』というイメージしか持てなかったガンに対しての理解を深めてくれて思わず引き込まれてしまいます。」
   「文化連情報」

「・・・著者は、国立西埼玉中央病院外科医長。癌の病名や予後を告知せずに励まし治療していた複数の女性患者に、最後に言われた言葉が書名。医療とは結局医療をする側の人間性が最後には問われる職業であることに気づくに至るエッセイ集。」
   「毎日ライフ」

「いま、ターミナルケアに求められるのは、誠実なインフォームド・コンセントである。その有り方を本書は示している。」 
    T
,Maeda  「ザ・クインテッセンス」

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