ターミナルケア死生観関連書籍



「人間の医学」への道

永井友二郎 著 / 四六判上製 292頁 / 
税込2100円 / ISBN4-89007-149-0 C0030 

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「医者中心の医療」から「病人中心の医療」へ!専門化・細分化する医学中心の医療に対し、「人間的でないものに対する静かな怒りの心」から「実地医家のための会」「日本プライマリ・ケア学会」を立ち上げ、病人のための医療という「医療の原点」をひたすら追いつづけた一開業医の40年の記録。

「太平洋戦争が終わって半世紀以上のときが過ぎた。私はこの戦争にひとりの海軍軍医として加わったが、いまかえりみて、いくたびもおそろしい修羅場を経てきたと思う。(中略)

私は運命の神にまもられ、当然なかったはずの命を永らえて終戦を迎えた。かえりみれば、私とともに戦った多くの仲間たちが南海に眠っている。私は戦後、彼らのことが忘れられず、この太平洋戦争は自分にとって、否、人間全体にとって「いったい何だったのか」と考えつづけてきた。

今回本書で述べる「死に際しての苦しみがない」ということがらは、この思索の果て、太平洋戦争がわれわれ人間に贈ってくれた貴重な教えだ――と考えている。古今、多くのひとが死をおそれ、死ぬときは苦しいものだと思ってきたが、私はトラック島での負傷、喪神体験から、「死ぬそのときは苦しくないに違いない」と確信するに至った。(中略)

私はこの太平洋戦争敗戦から立ち上がり、ともにたたかって戦死した多くの仲間たちに、何とか顔向けできる生き方をしなければならないと、今日まで歩んできた。

そこで私はよき師、優れた同僚のなか、先端医学を追う道ではなく、病人のための「人間の医学」への道を見いだした。この道は、大学や学会が関心を向ける領域ではない。

本書でその足どり、内容を示すように、地味であり、未開拓である。しかし、医学はもともと、はじめに病人があって、病人のためにできたものである。(中略)

私は五〇年、一〇〇年先、この「人間の医学」が医学の本道、根幹になる必然性があると考えている。私たちはいま、医学、医療の大切な若芽を育てていかなければならない。」序より

 

「人間の医学」への道

もくじ

序 

第一部 戦争の遺したもの

戦火拡大のなかで
千葉医科大学入学
海軍軍医中尉任官
ミッドウェー海戦に出撃

この日から、私は生まれて初めて全身熱傷の兵隊たちの治療に明け暮れた。「鈴谷」に収容した負傷兵は一〇〇名を超える。頭髪は焼け落ちてなく、全身の皮膚は真っ黒に焼け、左右の眼だけが光っている。

敗北の原因
負傷者の末期
ガダルカナルの苦戦

この命がけのこわさがつづくなかで、何とかこれから抜け出そうと、あれこれ考えてみた。そして最後に思い至ったことは、「どうせこのこわさがつづくならば、ひとつ開き直ってみよう」――という気になった。


第三次ソロモン海戦
内地帰還
ガダルカナル島撤収作戦
「伊一七五号」潜水艦に乗り組む
北方作戦に参加
「キスカ島全員撤収」―奇蹟の作戦成功
通商破壊作戦に向かう
米空母撃沈―爆雷攻撃にさらされる

午前四時三十分すぎ、頭の上でなにか「シュッ、シュッ」と音がしたと思った瞬間、艦は突然はげしい衝撃で上下に揺さぶられ、電灯は消え、棚から物が落ち、艦内が真暗となった。とっさに頭に浮かんだことは、これで「水没」ということであった。


トラック島大空襲―被弾、喪神
内地勤務―結婚
兄の死
戦況の悪化
広島に原子爆弾が投下
敗戦―帝国海軍の終焉
「私でなくてはできない何か」を求めて

第二部 「人間の医学」への道

二つの決心
「患者の話を聞きすぎる」―ある医長からの苦言
医学・医療とは何か
開業医の「医療学」の必要性

医療は原始人が病人を木の下で休ませて以来、病人のため、病人中心に行なわれてきた。「ものごとの本質はその生い立ちが示す」というように、医療の本質の第一は、「病人のため、病人中心」ということである。


「実地医家のための会」の旗あげ
医療の新たな拠点として
病人中心、人間中心の医療を目指す
「実地医家のための会」の理念
「実地医家のための会」の足跡
これまで行なった主題と調査
「プライマリ・ケア」の胎動
「プライマリ・ケア学会」の設立
   アルマ・アタ宣言(一九七八)
「プライマリ・ケア」こそ究極の医学
「インフォームド・コンセント」への開眼
説明と承諾―国民の健康権、生命権
医療事故―日常的な危険

医師はどれだけ腕をあげ、肩書きがついて偉くなっても、医療を受ける人の立場、病人の心を忘れてはならないということを、はっきり心にすえておく必要がある。


「退院」をめぐる諸問題
医療は「ことば」に始まり「ことば」で終わる
人間理解の方法―全体と部分の視点
   病人の身になって考えること
   生い立ちの歴史をよく調べること
   全体と部分の視点で理解すること
医療における「ことば」の役割
「診察を受けるというのは、言葉を問われている」―幸田文氏との対談から
楽しい語らい、笑い、ユーモアの効用―ノーマンカズンズの研究から

私は実地医家の重要な方法論は、「ことば」の使い方だと考えている。そして、実地医家は「ことば」の使い方の専門医でなければならないと思う。そのためには日ごろから心身医学、カウンセリング、医事法学を視野に入れ、幅広い人間文化全般に眼を向け、学習していく必要があると考えている。


医療の技術化―五つの危険
「医学教育」と「生涯教育」の問題点
家庭医実習の試みと成果

第三部 「死をみとる医療」

死は避けられない現実

死はだれにとっても、人生の究極的な大問題であるにもかかわらず、私たちは「死ぬのは自分でない、自分はいつまでもずっと生きている」と思い込んでいる。いいかえれば、このきわめて大事な問題を知らず知らずに避け、後回しにしているといえるのではないだろうか。


「安楽死」シンポジウム―「医師は患者の心をみていない」 
「ホスピス・ケア」の実践―鈴木荘一医師の試み 
我が国におけるターミナル・ケアの歩み 
ターミナル・ケアの核心―「苦しみ」「痛み」「別れ」 

私は、この「手ぶら」で病室を訪れ、ゆっくり話を聞くことが、じつはきわめて大切な「ケア」であると思っている。

  
死ぬときの苦しみ
   「こころ」の痛み
   残された少ない時間の過ごし方―家族との別れ
私がみとった人びと
死に対する心構え

第四部 私の死生観―死ぬときは苦しくない

司馬遼太郎氏と山村雄一君のこと
   医学者には哲学が必要である― 
   ガンはありがたい― 
   心で生きる― 
   山村雄一君と海軍 
生命飢餓―岸本英夫氏の死生観
「安楽に死にたい」―松田道雄さんの死生観 
「病いとともに生きる」―私の体験から
   顔の「皮膚ガン」 
   「肺ガン」の疑い

「病いとともに生きる」ことは、医師にとっては最高の学習である。どれだけ医学書を読んでも、実体験したほどの実感をもつことはできない。医師はすべての病気を体験するわけでないから、自分の少ない体験を生かし、体験していない病気についてもできるかぎり、それぞれの病人の苦痛、困惑、悲嘆、願望に迫りたいものである。


死は人間の別れ
私の宗教観―「日本教」について
私の死生観―死ぬときは苦しくない

おわりに

主要参考文献
「実地医家のための会」の現在

 

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