ターミナルケア死生観関連書籍
癒しの心を求めて 医療と福祉の現場から日本福音ルーテル教会東教区 ・ 医療従事者の会 編 / A5判上製 212頁 /
税込1800円 / ISBN4-89007-100-8 C0030〔ご注文はこちら〕〔出版案内表紙へ戻る〕
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〔ターミナルケア関連書籍へ戻る〕「『癒しの心をもとめて』の書評を依頼されて、まず、『癒し』とは何かについて考えを巡らし始めた。本書の副題に「医療と福祉の現場から」とある。癒しをもたらすものは、医療と福祉なのか。『癒し』というからには宗教の果たす役割も大きいにちがいない。時には家族が患者の癒しになる場合もあるのではないか。さまざまな疑問を抱きながら、一読した。そして『癒し』の輪郭が見えた気がした。」
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長 柏木哲夫 評 「キリスト新聞」現代第一線の医療者と宗教者が、高齢者介護、ターミナルケア、グリーフワークにおける『支えの心』と『支援のあり方』を探る。
検索語:高齢者,介護,終末期医療,終末期看護,悲しみのケア,ターミナルケア,緩和ケア,パリアティブケア,ホスピス,悲嘆,在宅 癒しの心を求めて 医療と福祉の現場から
もくじ
序文 内海望
はじめに 土井洋
基調講演
老いの心を支えるもの 日野原重明
シンポジウムI「よりよい高齢社会を築くために」
北欧福祉国家とわが国の現状から 市川一宏
スウェーデンと日本における高齢者の状況
スウェーデンにおける高齢者福祉にみる基本理念
1ノーマリゼーション
2総合的な対策
3自己決定
4社会参加
5積極的活動
6継続性
7人格の尊重
スウェーデンの高齢者福祉制度の特徴
1高齢者の健康と日常生活に対応できる能力の向上
2高齢者の物理的・社会的環境の向上
3高齢者を介護している親族の支援
4ホームヘルプの充実・強化
5施設体系の整備
日本が学ぶべきこと
1社会を支える連帯
2社会的扶養の重要さ
3生活空間と豊かな生活指向
老人福祉事業に従事した経験を通して 日登老人看護・介護の実践から 小川洋子
老齢者介護の現状――東京老人ホームめぐみ園の実態から
【例】家族のある人
【例】痴呆の人
望ましい高齢者介護のあり方と今後の課題終末期医療の経験を通して 岡安大仁
司会者のまとめ 田中昇
日本福音ルーテル教会宣教一○○年記念医療講演会
死にゆく人への配慮―日本のための一アメリカ人の視点― ウォルター・シューマン
アメリカの経験
神学的・霊的側面について
死にゆく人と共にいることの問題点と利点
・・・私たちが死にゆく人を介助してゆくならば、医療の分野においても常に終わり――究極の目標(goal)を視点において考えていく必要があります。死はあらゆる武器をもって戦わなければならない敵ではなくして、むしろそれ自身重要な意味を持っている人生の最後のチャプターとして、備えをしていく視点が医療の分野でも必要だと思います。ここで私たちが問題にすべきことは「人がどのように豊かで意味のある死に方をするか」を視点に入れることであろうかと思います。良く死ぬということは良く生きることと同じくらい大切な意味を持っています。
シンポジウムII「悲しみへの援助」 司会 ケネス・デール
医学的に見た悲嘆の症状―自己の体験を通して― 岡安大仁
悲しみと芸術
妻の死と悲しみの評価
悲しみのプロセスと受容への過程
悲しみと身体症状
悲嘆の体験―心理学的視点から― 平山正実
日本語における悲しみの捉え方
悲しみの感情はどこから起こってくるか
正常な悲嘆反応と病的な悲嘆反応
1感情表出の立場から
2言語活動の立場から
3罪悪感の立場から
4身体症状の観点から
悲嘆体験が身体・行動に与える影響
悲しみからの脱却
・・・日本人は自然と接し、自然と融合することによって自分の悲しみを自然に投影し、表現しようとしたのではないか。あるいは自然の中で悲しみを癒そうとしたのではないかと思います。
それにひきかえ欧米人は悲しみをむしろ対象化し、客観化し、分析し、洞察し、解釈しようとする傾向が強いのではないかと思います。
悲しみへのアプローチ―アメリカからの報告― ウォルター・シューマン
悲嘆とは何か
悲嘆の症状
1身体的症状
2感情面の症状
3行動の症状
悲嘆のタイプ
1予期される悲嘆
2遅れて出てくる悲嘆
3決して終わらない悲嘆
4グッド・グリーフ
おわりに
質疑応答
公開セミナー「痛みと癒し」
医師と牧師の対話 岡安大仁・賀来周一
最終的な答はWHY?にどう答えるということだと思います。「何故私なのか」「何故今なのか」「何故あの人でないのか」――そういうWHY?への問いが残っていくと私は思います。これは痛みを持つ本人だけでなく、痛みを持つ本人を取り囲む家族、近しい者にとっても同じ問いになると思います。
「何故」という問いに対する答というのは実はない、人間の中にはないのです。結局は問いそのものを受容するかどうか、ということになってくるわけです。問いそのものを受容するということになると、問いを受容する態度が最終的にはものを言うというか、決定的になっていく。最終的には死をどのように受容するかという態度でもあるわけです。(賀来)
講演
妻を看取って―理想のホスピスとしての在宅ケア― 田坂宏
あとがき 岡安大仁