セックスとギャンブル

堀 秀彦 著 / 四六判上製   222頁 / 
品切れ重版未定 税込1470円 / ISBN4-89007-032-X C0095 

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「現代社会において、私たちがほんとうの意味で自分からすすんで、いいかえれば、ワクをはめられず、強制されないでできることは二つしかない。
一つは性的な欲望の問題、もう一つはギャンブルの問題。この二つは、おそらく人間性(ヒューマンネーチャー)と呼ぶべきものかもしれない。だからこの二つの問題は一見、何の関係もないようだけれども、実は私たちの生活のいたるところで、私たちの生活を決めているのかもしれない。だから、私は人間の本能というようなすり切れた言葉では呼ばないで、現代人のヒューマンネーチャーと呼びたいのだ。」あとがきにかえて より

検索語:自慰.ポルノ.アダルト.性器.生殖.愛.性愛.快楽.意味.解釈.象徴.記号.主体性.哲学.エッセイ.性行為.賭博.賭け事.歴史

 

セックスとギャンブル 

もくじ


第一章 セックスについて

アダルトブックス
性は自主的か

性器にも性交にもその人間の個性があらわれないということは、当たりまえのことだが、このことが私にはどうにも腑におちない。男と女が愛し合うためには、何といったって、ふたりの個性のあいだで引かれ合うことが必要であるが、そうやって個性的に愛し合った二人が交わるときには、個性的なものがすっかりどこかへ飛び去ってしまうということは、おかしなことではないのか。


快楽と生殖
着物とパンツ
"裸である"ことと"裸になること"
自慰について
アメリカ人はフェミニストか?
なぜ自慰をするのか?
孤独な行為

孤独な人々の孤独なすがたを見たいと思ったら、パチンコ屋に行ったらいい。おおぜい並んでいながら、彼らはおたがいに何の関係も持っていない。共存の関係も敵対の関係も持っていない。
だから、これらの孤独な人々には、孤独な性行為である自慰がいちばん向いていると言えそうに思える。自慰がさきにも言ったように孤立者の性行為であるならば、孤独な人々の増加は、それだけ、自慰する人々の増加であるともいえる。

ゆがんだ性
性の意味
刺激と愛情
家庭は崩壊する
男と女

性の交わりとは男のエゴイズムと女のそれとの肉弾戦とでも言えるような気がする。このような性のストラグルの中から新しい生命が生まれるということは一体、なんとしたことであろう。人間とはそもそも戦いのなかから生み落とされる戦いの申し子なのだろうか。

煩悩の人間
快感と劣等感と
ポルノ映画
人間にとって"性"とはなにか?
欲望と人間存在

主要引用文献:古事記、聖書、『素晴らしい新世界』(オルダス・ハクスリ)、『性の政治学Sexual Politics』(ケート・ミレット)、『性の心理The Psychology of Sex』(オズワルド・シュワルツ)、『女性の不感症Die Geschlechts Kalte der Frau』(W・シュテークル)、『孤独なる群集』D・リースマン、『カップルズ』アップダイク、『革命的人間』(エーリッヒ・フロム)、『随想録』(モンテーニュ)、『セヴンティーン』(大江健三郎)、『ガリヴァ旅行記』(ジョナサン・スイフト)


第二章 ギャンブルについて

ギャンブルとは何か?

ギャンブルは(中略)、一言でいえば、「偶然との闘い」だとも言える。そして「偶然」とは本来、闘いの相手になり得ないものであり、偶然を相手にして闘うなんて無意味で不可能なことだ。
だが、それにもかかわらず、ともかく、それが「闘い」であるという意味では、そこに、主体性が、自由な選択と努力が、そして冒険が、はたらいているということを意味する。


勇気と偶然性
孤独性
退屈の所産なのか?
運命の凝集点
勝つこと
慎重に賭ける
人生における賭け

私たち日本人は死の不可避性、これはしっている。けれども死のこわさ、だからまたそのこわい死の不可避性の恐ろしさについては、しらない。死とその不可避性の恐ろしさをしることなしには、神の存在・非存在についてのパスカルの賭けの意味はいつまでも分からない。


人間の最後の冒険
花札賭博と競輪

ギャンブルとは、遊びであり、神聖な神事であり、身を滅ぼす破壊者であり、そうだと分かっていながら、そこから脱けきることのできない人間生活の根強い断面なのだ。
どうして、こんなにも合理性や科学的知識の発達した現代社会のなかで、人間は原始人と同じように純粋なチャンス、運不運といったことに熱中せずにおれないのか。かんたんだ、その理由は。人間がどんなにしても未来の出来事を正確にしりえないからだ。

日々これ賭け
よみがえる人間
"現実の必然性"からの解放
あるギャンブル物語
国民性か、人間性か
近松と西鶴
なぜやめられないのか
賭ける勇気
"手"
競馬の原型
"体をはる"
なぜ同じものに賭けつづけるのか
"運"について
しろうと・くろうと
明日への期待
疑似自主性

ギャンブルは、自分が、誰からも強制されず、自分でする自発性の行為だ。だからそれは自主性に対する人間の欲求を満足させる。
けれども、この場合、自分が賭けるのだということは、自分のもっているなにかはっきりした自分の能力を自分で発揮することとはちがう。
ひとは、自由に好きな絵をかくことによって画才を発揮するように、ルーレット台にチップをつみ上げるわけではない。

"クジ"と選挙
未来予測
あれか、これか

あとがきにかえて

主要引用文献:『あれかこれか』(キルケゴール)、『パンセ』(パスカル)、『ホモ・・ルーデンス』(ホイジンガ)、『思想と年齢』(アラン)、『古今著聞集』、『賭博とスリの研究』(尾佐竹猛)、『本朝二十不孝』井原西鶴、『丹波与作待夜の小室節』(近松門左衛門)、『ある女のニ十四時間』(シュテファン・ツヴァイク)、『イーリアス』(ホメロス)、『歴史』(ヘロドトス)、『ゲルマニア』(タキトゥス)、『賭博者』(ドストエフスキー)、『君主論』(マキャベリ)

この書籍は品切れ、重版未定です。

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